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ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』読書会まとめ

ニュークリア・エイジ (文春文庫)

ニュークリア・エイジ (文春文庫)

 

今回の課題図書は、ティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ』(文春文庫)。

9月21日(土)に高田馬場で行いました。参加者全員がメンズという非常にマッチョな会でありましたが、それだけに濃密な(?)時間を過ごすことができました。参加者の皆さま、どうもありがとうございました。

 

さて、今回の主な焦点となったのは、以下の3点であったように思います。

すなわち、

 

① 果たしてこの物語は読者の<共感>を呼ぶ物語であったのか

② 登場人物たちそれぞれが抱えるオブセッションとは

③ ラストシーンはいったいどのような意味を持つのか

 

①から順番に見ていくと、特定の登場人物に共感を覚えた人とそうでない人の両者から圧倒的に強く支持されていたキャラクターが、やはりというかなんというか、精神科医アダムソンでありました。

彼による主人公ウィリアムのカウンセリングシーンはこの小説における、ひとつの転轍点になっているのではないかという議論では、おもしろい指摘が出たので以下にいくつか挙げてみます。

 

・アダムソンとの会話は、社会状況とウィリアムをめぐる状況がリンクし始めることの契機となっている

・アダムソンはウィリアムの妄想の産物なのではないか

・外界から孤絶している=絶望している両者が関係することで、両者はともに外界とコミットしていくことになる(具体的には、ウィリアムは闘争へ、アダムソンは政治へ)

 

そもそもこの『ニュークリア・エイジ』という小説は、どこからが真実でどこまでが主人公の妄想なのかという線引きが難しい小説です。その物語世界にあって異様なまでの存在感を放つこのアダムソンというキャラクターはやはりいろいろ議論を呼ぶ人のようです。

 

特に興味深かったのは、ジル・ドゥールズの<差異と反復>を援用した某氏の読みで、アウトサイダーとしてのウィリアム&アダムソンが出会うこのシーンは、両者が共に外部=共同体とつながっていく契機になっているのではないかというもの。これには参加者一同瞠目いたしました。

 

②については、

 

サラ ⇒ 死と愛

ティナ ⇒ ダイエット

オリー ⇒ 爆弾

ウィリアム ⇒ むろん、核の恐怖

 

という感じで、『ニュークリア・エイジ』の登場人物たちは、それぞれなんらかのオブセッションを抱えている人たちなのですが、その中にあって、健全なイケメンであるかに見えるネッド・ラファティーのオブセッションに関する某氏の指摘が鋭いものでした。それによると、

 

ネッドのオブセッションは、テロリズムに明け暮れる今・ここから<逃げ出したい>というもので、これは同じくオブライエンの小説『カチアートを追跡して』の主人公ポール・バーリンのそれに通じるものである

 

とのこと。

考えてみれば『カチアートを追跡して』はベトナム戦争従軍の物語であり、かたや『ニュークリア・エイジ』はそこから逃避した男の物語であります。

 

つまりポール・バーリンたちがカチアートを追ってすったもんだしている間、ウィリアムは徴兵から逃れてテロリストの連絡係として世界中を飛び回っていたわけです。このふたつの小説をネガ・ポジの関係で捉えてみるのもおもしろいかもしれません。

 

③のラストシーンについての議論は、参加者一同、頭を悩ませたところなのですが、意外にもポジティブな結末として読んだ人が多かったようです。

ここは壮大なネタバレになりそうなので、詳しくは避けますが、クライマックスで核のオブセッションを否定したかに見えるウィリアムの独白は、実のところ、<核戦争が起こるからこそ、あえて起こらないことを信じる>という反語的な決意表明になっているのではないか、という読みが非常に魅力的でした。

 

その他に出た意見を以下にまとめてみると、

 

・物語中盤(ウィリアムの青年期)がラノベ臭くてリーダブルであるのに対して、それ以降はかなり読みにくく、読書速度にばらつきが出る

・オブライエンは作品の主人公と自身を同化させようとしている(ウィリアムとオブライエンは大体同年代 ⇒ これについては参加者のスミス市松さん(スミス市松 (ichimatsu_smith) on Twitter)が作成した詳細な年譜資料があるので以下に掲載します)

・翻訳はかなり春樹的(「やれやれ」は作中に最低16回出てくる)で、詳細な注は主にうざいが役に立つこともある

・春樹的っていうかむしろもう春樹との共作と考えたほうがいいかもしれない

・ウィリアムは兵役拒否による家族崩壊や仲間の死、現在の家庭内不和といった小さなオブセッションを隠すために核の脅威という極大なるオブセッションを作り上げているのではないか

・女性のキャラクター造形(特にボビ)が不自然だが、これは物語をいかにも物語らしくするための仕掛けではないか=フィクションであることを強調する作家

・それぞれのパラノイアを描き切ったという意味で、現代の総合小説と呼ばれるのにふさわしい

・穴に対しては誠実なウィリアム

 

 『サロン・ドット・コム 現代英語作家ガイド』(研究社)によると、『ニュークリア・エイジ』の本国アメリカでの評価は「壮大な駄作」(!)なのだとか。

これはどうも主人公ウィリアムの弱々しいキャラクター造形がアメリカ読者に受け入れられなかったことに一因があるらしいのですが、少なくとも今回の参加者は皆この小説を好意的に読んでいたようでした。

 

今回は少人数ではありましたが、それぞれがひとつの方向を向いて、積極的な意見交換がなされたいい会であったと思います。(↓ひさしぶりにホワイトボードも使用↓)

 

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先に書いた参加者であるスミス市松さんによる詳細な年譜はこちらからダウンロードできます(作成に使用したのはWikipediaと『サロン・ドット・コム』だそうですが、これは本当に素晴らしい仕事です)。

 

⇒ ティム・オブライエン年表(9月16日).xlsx

 

あと、俺が前日の夜に作った個人用やっつけレジュメも一応掲載。

 

⇒ ティム・オブライエン.docx

 

次回はおおたさん(おおた (uporeke) on Twitter)によるナボコフかマイクル・コニイ読書会が11月頃に開催される予定です。

 

ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』読書会

夏、それは汗と労働の季節。

みんな汗かいてる? えっ、そうでもない? じゃあ穴掘ろうぜ。

 

9月21日(土)にティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』読書会を行います。必須課題図書はこちら。

 

ニュークリア・エイジ (文春文庫)

ニュークリア・エイジ (文春文庫)

 

時間は13時から17時まで。

場所は高田馬場。ワンドリンク制で参加費は約1000円。参加者の方には後日詳細を送ります。

参加表明はこの記事のコメント欄かTwitterのメッセージhttps://twitter.com/Mishiba_Yにてお願いします。

読書会後は例によって食事会も行いますので、ふるってご参加ください。

 

ディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』読書会

花散らしの雨も降り、そろそろ春本番といったところですね。

今年の冬は長かった。春を待つのはもうたくさん。そんなあなたに朗報です。次は韃靼人を待ちましょう。

 

5月18日(土)にディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』読書会を行います。必須課題図書はこちら。

 

タタール人の砂漠 (イタリア叢書)

タタール人の砂漠 (イタリア叢書)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

時間は13時から17時まで。

場所は高田馬場。ワンドリンク制で参加費は約1000円。参加者の方には後日詳細を送ります。

参加表明はこの記事のコメント欄かTwitterのメッセージhttps://twitter.com/Mishiba_Yにてお願いします。

読書会後は例によって食事会も行いますので、是非ご参加ください。

 

また『タタール人の砂漠』は現在のところ松籟社版が品切れの模様ですが、4月17日に岩波文庫化されるそうです。お読みいただくテクストはどちらでも結構です。私は一応両方に目を通す予定です。

タタール料理の店が高田馬場にあったらいいのに。

レイナルド・アレナス『夜明け前のセレスティーノ』読書会終了

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

今更ですが、今回初の仕切りとなる読書会はレイナルド・アレナス『夜明け前のセレスティーノ』(以下『セレスティーノ』)が課題図書。それを中心に他のアレナス作品についても語りましょうという会で、2月23日(土)に高田馬場にて行いました。参加者は主催者含め8名で意外な大所帯。

 

何度か参加させていただいてるおおた氏(http://www.uporeke.com/book/)の読書会を参考に、まずは自己紹介と課題図書の感想を。簡単にまとめると、

 

・書かれていることをそのまま受け止められた再読のほうが印象に残った。

・アレナスについての知識の有無により印象がかなり異なる。またそれを踏まえて読むべきか否か。

・アレナス版『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。

・引き裂かれた愛憎が痛々しくもあり魅力的でもある。

・キューバの自然を舞台にした演劇のよう。

・意味を求めるべきではない。

・過剰に反復される「アチャス」は心臓の鼓動のようであり、それによって斧だらけの世界が現出される。

・閉ざされた共同体の話ではあるが、主人公は外部を知りつつある=日常から巣立っていきたいお年頃だが、日常へ戻っていかざるをえない。

・場面の説明がないせいか、そこまで土着性を感じない。

・対抗したいというよりはむしろ「じいちゃん的世界」に沿っていきたいという願望を感じさせる場面もある。

・戯曲部分はセレスティーノ作かもしれない。

 

こんな感じ。アレナスは典型的な山出しの人で、上京してからはレサマ=リマやビルヒリオ・ピニェーラといったキューバ最高峰の知識人の英才教育を受けた。処女作の『セレスティーノ』は幼少期の妄想と高度に洗練された手法との狭間で引き裂かれた作品であり、その危うさがひとつの魅力になっているようだ。

 

続いて他の作品、あるいはアレナス自身に関する意見を以下に。

 

・何度も裏切られているのに、それでも友情を最優先するアレナスさんすごくパワフル。友情を切り捨てて先に進んでいく『めくるめく世界』のセルバンド師とは対照的。

・キューバは人と人との距離がいちいち近い。

・『めくるめく世界』は「バカ男子系」であり「塊魂」である。

・『めくるめく世界』のラストはカルペンティエール「種への旅」を意識している。インタビューと合わせて読むと、どうやらカルペンティエールへの挑発らしい。

・『夜になるまえに』は元左翼少女には結構きつい。

・レサマ=リマ「断頭遊戯」(『ラテンアメリカ怪談集』)のあらすじは誰も覚えてない。

 

特に人気が高かったのは最晩年の自伝『夜になるまえに』で、ハビエル・バルデム主演の映画のほうもなかなか好評だった。

男性陣に大受けだったのは、やはりというかなんというか『めくるめく世界』だった。このノリはジャンプだ、いやコロコロコミックだという不毛すぎる談義に「塊魂」が蹴りをつけた。人称が混在する文章に居心地の悪さを覚える人もいるが、とにかく楽しいお祭り小説なので、アレナス未読の人にはオススメだ。

短篇作品では「ハバナへの旅」を推している人もいた。私はこの短篇、いまいち印象に残っていないのでいずれ読み返してみたい。

 

アレナスというかラテンアメリカの人たちの小説を読むうえで、友情というのは案外無視できないテーマなのかもしれない。カストロとの親近性ゆえにアレナスが毛嫌いするガボ(ガルシア=マルケス)もまた友情には熱い男なのである。

そうした日本人にはやや暑苦しくも思われる友達コミュニティを、密告と裏切りのるつぼに変えたカストロ体制にアレナスは憤りを隠さない。

とはいえアレナスは、とにかくなにかに対して怒りをぶつけていたい叛骨の人という意見は衆目の一致したところ。それがなければ次はあれへと憤怒の鉾先を向けていったであろうことは想像に難くない。その叛骨精神が創作の原動力になってもいたのだろう。

 

アレナスでしかも『セレスティーノ』なので、どうなることか心配していたが、範囲を多少広く設定しておいたおかげか、読書会自体は成功に終わったと言える。

こういう小説を読むときのスタイル(意味を求めるべきか否か)について各人の相違はあったものの、ひとつの小説を読み、語り合うというその運動によって抽出されるものがあるということに、改めて気づかされた。

 

次回読書会は5月18日(土)の予定。課題図書は4月に岩波で文庫化されるディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』です。近いうちに詳細を告知します。

小説は叛骨だ! 人生は脱獄だ! -レイナルド・アレナス『めくるめく世界』-

 

私たちは、ゾウゲヤシの畑から戻ってくる。いや、私たちはゾウゲヤシの畑から戻ってはこない。私と二人のホセファがゾウゲヤシの畑から戻ってくるが、そのころにはもう、日が翳りだす。

 

腐肉系ホラー漫画家・日野日出志の知る人ぞ知る短編「幻色の孤島」は、奇形の怪獣やら奇怪な仮面土人やらが跋扈する島に漂着した男の話。

絶海の孤島に囚われ、土人社会の物乞いとして生きていくことになる男の姿が、実のところ私たち現代人の監獄めいた人生の似姿であることを示唆して、この不気味な短篇は終わる。

レイナルド・アレナスの長篇『めくるめく世界』(国書刊行会)を読むのはこれで三度目だが、不条理な監禁と破獄を幾度となく繰り返す怪僧セルバンド師(=アレナスのアルターエゴ)の姿に、日野日出志のドロドロホラー漫画を重ね合わせることになるとは、我ながら意外であった。

 

「いちばん難しいのは檻から出ることだ。しかし、私はちゃんと出てこれたぞ」

「さあ、それはどうでしょうか。この城はたくさんの檻でできているようなものです。檻のなかに、またべつの檻がある。あなたはひとつめの檻を出て、ふたつめの檻にいるわけです」

ここから最後の檻までは、いったい……。

 

自由を請い求め、メキシコ独立運動の旗手として波乱万丈の冒険を繰り広げることになるセルバンド師だが、人生が幾重もの入れ子構造になった檻のようなものであってみれば、「最初の檻を出られたのだから、最後の檻からだって出られる」というわけには、そう簡単にいきそうもない。

 

「われらが遍歴の修道士、万歳!」みんなは口々にそう言ったが、それはすでに酒を飲んだ者の声だった。修道士は口元を歪めて微笑らしきものを作り、手を振って一同に挨拶した。

「どうやら逃げ道はなさそうだ」非常に間のびした、自分にだけ聞こえるような小さい声で修道士は呟いた。「逃げ道はなさそうだ」と繰り返してから、笑みを浮かべて前に進み出た。

 

実際、祖国の独立という悲願をようやく果たしたセルバンド師の身中には、いまだ叛逆と破獄の炎がくすぶり続けている。自由を勝ち得た彼を待ち受けるのは、民主制の隠れ蓑のもとに強権をふるう新たな支配者であり、過去の英雄として大衆の無理解の食い物にされる自分自身の老残の姿である。

とりわけ印象的なのはセルバンド師の最期の場面。同じくキューバに生まれたアレホ・カルペンティエルの短編「種への旅」を髣髴させるこのシーンでは、彼の精神は死してもなお躍動を終えず、かつての捕囚と脱獄の日々を遡行し、幼少期を過ごしたあのゾウゲヤシの畑へと帰っていく。

人生は行き止まり、四方八方に塀をめぐらせた、あたかもそれは監獄のよう。

万物を迎える死の法則をも乗り越え、ここでも無謀なる脱獄に果敢に挑戦せんとするセルバンド師のこの崇高さよ。

小説は叛骨、人生は脱獄。これがなくてはやっていかれないのである。

 

めくるめく世界 (文学の冒険シリーズ)

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幻色の孤島 オンデマンド版 [コミック]

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失われた足跡 時との戦い (ラテンアメリカの文学 (3))

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レイナルド・アレナス読書会

寒い日が続きますが、みなさん最近土食ってる? 俺は食ってない。味気ねえな。

 

ということで2月23日(土)にレイナルド・アレナス読書会を行います。

必須課題図書はこちら。

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

時間は13時~17時まで。

場所は池袋を予定しております。参加費は約1000円。参加者の方にはまた改めて連絡します。読書会後は食事会も行いますので、ふるってご参加ください。

参加定員はいまのところ8名様までの予定。参加表明はTwitterのダイレクトメッセージhttps://twitter.com/Mishiba_Yにてお願いします。そんなに集まるとも思えないのですが。

 

参考までにその他のアレナス関連書籍をば。

 

めくるめく世界 (文学の冒険シリーズ)

めくるめく世界 (文学の冒険シリーズ)

夜になるまえに

夜になるまえに

ハバナへの旅

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