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レイナルド・アレナス『夜明け前のセレスティーノ』読書会終了

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

今更ですが、今回初の仕切りとなる読書会はレイナルド・アレナス『夜明け前のセレスティーノ』(以下『セレスティーノ』)が課題図書。それを中心に他のアレナス作品についても語りましょうという会で、2月23日(土)に高田馬場にて行いました。参加者は主催者含め8名で意外な大所帯。

 

何度か参加させていただいてるおおた氏(http://www.uporeke.com/book/)の読書会を参考に、まずは自己紹介と課題図書の感想を。簡単にまとめると、

 

・書かれていることをそのまま受け止められた再読のほうが印象に残った。

・アレナスについての知識の有無により印象がかなり異なる。またそれを踏まえて読むべきか否か。

・アレナス版『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。

・引き裂かれた愛憎が痛々しくもあり魅力的でもある。

・キューバの自然を舞台にした演劇のよう。

・意味を求めるべきではない。

・過剰に反復される「アチャス」は心臓の鼓動のようであり、それによって斧だらけの世界が現出される。

・閉ざされた共同体の話ではあるが、主人公は外部を知りつつある=日常から巣立っていきたいお年頃だが、日常へ戻っていかざるをえない。

・場面の説明がないせいか、そこまで土着性を感じない。

・対抗したいというよりはむしろ「じいちゃん的世界」に沿っていきたいという願望を感じさせる場面もある。

・戯曲部分はセレスティーノ作かもしれない。

 

こんな感じ。アレナスは典型的な山出しの人で、上京してからはレサマ=リマやビルヒリオ・ピニェーラといったキューバ最高峰の知識人の英才教育を受けた。処女作の『セレスティーノ』は幼少期の妄想と高度に洗練された手法との狭間で引き裂かれた作品であり、その危うさがひとつの魅力になっているようだ。

 

続いて他の作品、あるいはアレナス自身に関する意見を以下に。

 

・何度も裏切られているのに、それでも友情を最優先するアレナスさんすごくパワフル。友情を切り捨てて先に進んでいく『めくるめく世界』のセルバンド師とは対照的。

・キューバは人と人との距離がいちいち近い。

・『めくるめく世界』は「バカ男子系」であり「塊魂」である。

・『めくるめく世界』のラストはカルペンティエール「種への旅」を意識している。インタビューと合わせて読むと、どうやらカルペンティエールへの挑発らしい。

・『夜になるまえに』は元左翼少女には結構きつい。

・レサマ=リマ「断頭遊戯」(『ラテンアメリカ怪談集』)のあらすじは誰も覚えてない。

 

特に人気が高かったのは最晩年の自伝『夜になるまえに』で、ハビエル・バルデム主演の映画のほうもなかなか好評だった。

男性陣に大受けだったのは、やはりというかなんというか『めくるめく世界』だった。このノリはジャンプだ、いやコロコロコミックだという不毛すぎる談義に「塊魂」が蹴りをつけた。人称が混在する文章に居心地の悪さを覚える人もいるが、とにかく楽しいお祭り小説なので、アレナス未読の人にはオススメだ。

短篇作品では「ハバナへの旅」を推している人もいた。私はこの短篇、いまいち印象に残っていないのでいずれ読み返してみたい。

 

アレナスというかラテンアメリカの人たちの小説を読むうえで、友情というのは案外無視できないテーマなのかもしれない。カストロとの親近性ゆえにアレナスが毛嫌いするガボ(ガルシア=マルケス)もまた友情には熱い男なのである。

そうした日本人にはやや暑苦しくも思われる友達コミュニティを、密告と裏切りのるつぼに変えたカストロ体制にアレナスは憤りを隠さない。

とはいえアレナスは、とにかくなにかに対して怒りをぶつけていたい叛骨の人という意見は衆目の一致したところ。それがなければ次はあれへと憤怒の鉾先を向けていったであろうことは想像に難くない。その叛骨精神が創作の原動力になってもいたのだろう。

 

アレナスでしかも『セレスティーノ』なので、どうなることか心配していたが、範囲を多少広く設定しておいたおかげか、読書会自体は成功に終わったと言える。

こういう小説を読むときのスタイル(意味を求めるべきか否か)について各人の相違はあったものの、ひとつの小説を読み、語り合うというその運動によって抽出されるものがあるということに、改めて気づかされた。

 

次回読書会は5月18日(土)の予定。課題図書は4月に岩波で文庫化されるディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』です。近いうちに詳細を告知します。