ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』読書会まとめ
- 作者: ティムオブライエン,Tim O'Brien,村上春樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1994/05/10
- メディア: 文庫
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今回の課題図書は、ティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ』(文春文庫)。
9月21日(土)に高田馬場で行いました。参加者全員がメンズという非常にマッチョな会でありましたが、それだけに濃密な(?)時間を過ごすことができました。参加者の皆さま、どうもありがとうございました。
さて、今回の主な焦点となったのは、以下の3点であったように思います。
すなわち、
① 果たしてこの物語は読者の<共感>を呼ぶ物語であったのか
② 登場人物たちそれぞれが抱えるオブセッションとは
③ ラストシーンはいったいどのような意味を持つのか
①から順番に見ていくと、特定の登場人物に共感を覚えた人とそうでない人の両者から圧倒的に強く支持されていたキャラクターが、やはりというかなんというか、精神科医アダムソンでありました。
彼による主人公ウィリアムのカウンセリングシーンはこの小説における、ひとつの転轍点になっているのではないかという議論では、おもしろい指摘が出たので以下にいくつか挙げてみます。
・アダムソンとの会話は、社会状況とウィリアムをめぐる状況がリンクし始めることの契機となっている
・アダムソンはウィリアムの妄想の産物なのではないか
・外界から孤絶している=絶望している両者が関係することで、両者はともに外界とコミットしていくことになる(具体的には、ウィリアムは闘争へ、アダムソンは政治へ)
そもそもこの『ニュークリア・エイジ』という小説は、どこからが真実でどこまでが主人公の妄想なのかという線引きが難しい小説です。その物語世界にあって異様なまでの存在感を放つこのアダムソンというキャラクターはやはりいろいろ議論を呼ぶ人のようです。
特に興味深かったのは、ジル・ドゥールズの<差異と反復>を援用した某氏の読みで、アウトサイダーとしてのウィリアム&アダムソンが出会うこのシーンは、両者が共に外部=共同体とつながっていく契機になっているのではないかというもの。これには参加者一同瞠目いたしました。
②については、
サラ ⇒ 死と愛
ティナ ⇒ ダイエット
オリー ⇒ 爆弾
ウィリアム ⇒ むろん、核の恐怖
という感じで、『ニュークリア・エイジ』の登場人物たちは、それぞれなんらかのオブセッションを抱えている人たちなのですが、その中にあって、健全なイケメンであるかに見えるネッド・ラファティーのオブセッションに関する某氏の指摘が鋭いものでした。それによると、
ネッドのオブセッションは、テロリズムに明け暮れる今・ここから<逃げ出したい>というもので、これは同じくオブライエンの小説『カチアートを追跡して』の主人公ポール・バーリンのそれに通じるものである
とのこと。
考えてみれば『カチアートを追跡して』はベトナム戦争従軍の物語であり、かたや『ニュークリア・エイジ』はそこから逃避した男の物語であります。
つまりポール・バーリンたちがカチアートを追ってすったもんだしている間、ウィリアムは徴兵から逃れてテロリストの連絡係として世界中を飛び回っていたわけです。このふたつの小説をネガ・ポジの関係で捉えてみるのもおもしろいかもしれません。
③のラストシーンについての議論は、参加者一同、頭を悩ませたところなのですが、意外にもポジティブな結末として読んだ人が多かったようです。
ここは壮大なネタバレになりそうなので、詳しくは避けますが、クライマックスで核のオブセッションを否定したかに見えるウィリアムの独白は、実のところ、<核戦争が起こるからこそ、あえて起こらないことを信じる>という反語的な決意表明になっているのではないか、という読みが非常に魅力的でした。
その他に出た意見を以下にまとめてみると、
・物語中盤(ウィリアムの青年期)がラノベ臭くてリーダブルであるのに対して、それ以降はかなり読みにくく、読書速度にばらつきが出る
・オブライエンは作品の主人公と自身を同化させようとしている(ウィリアムとオブライエンは大体同年代 ⇒ これについては参加者のスミス市松さん(スミス市松 (ichimatsu_smith) on Twitter)が作成した詳細な年譜資料があるので以下に掲載します)
・翻訳はかなり春樹的(「やれやれ」は作中に最低16回出てくる)で、詳細な注は主にうざいが役に立つこともある
・春樹的っていうかむしろもう春樹との共作と考えたほうがいいかもしれない
・ウィリアムは兵役拒否による家族崩壊や仲間の死、現在の家庭内不和といった小さなオブセッションを隠すために核の脅威という極大なるオブセッションを作り上げているのではないか
・女性のキャラクター造形(特にボビ)が不自然だが、これは物語をいかにも物語らしくするための仕掛けではないか=フィクションであることを強調する作家
・それぞれのパラノイアを描き切ったという意味で、現代の総合小説と呼ばれるのにふさわしい
・穴に対しては誠実なウィリアム
『サロン・ドット・コム 現代英語作家ガイド』(研究社)によると、『ニュークリア・エイジ』の本国アメリカでの評価は「壮大な駄作」(!)なのだとか。
これはどうも主人公ウィリアムの弱々しいキャラクター造形がアメリカ読者に受け入れられなかったことに一因があるらしいのですが、少なくとも今回の参加者は皆この小説を好意的に読んでいたようでした。
今回は少人数ではありましたが、それぞれがひとつの方向を向いて、積極的な意見交換がなされたいい会であったと思います。(↓ひさしぶりにホワイトボードも使用↓)
先に書いた参加者であるスミス市松さんによる詳細な年譜はこちらからダウンロードできます(作成に使用したのはWikipediaと『サロン・ドット・コム』だそうですが、これは本当に素晴らしい仕事です)。
あと、俺が前日の夜に作った個人用やっつけレジュメも一応掲載。
次回はおおたさん(おおた (uporeke) on Twitter)によるナボコフかマイクル・コニイ読書会が11月頃に開催される予定です。